紅の袴の謎 [人形装束と着物]
平成17年12月28日(水)
調子に乗って人形装束話もういっちょ。
昔むかし、『源氏物語』の古典エッセイか何かで気になる記述を読みました。
藤壷と光源氏の密通に関してのことで、袿は少し引っ張ればすぐに脱げてしまうが、袴の紐は簡単には解けないから、藤壷も最終的には自ら光を受け入れたのであろう、とか何とか。それがすごく疑問に思いましてね。
そうか?おまるが差し込めるくらい脇が開いてるのに、袴なんか脱がなくてもオッケーだったんじゃ…?それに光君、藤壷にあとで化けて出るくらい恨まれてるぞ…?って。
その当時は昔の装束の構造なんて調べようもなかったから、ずっと疑問のままになってたんですが、最近になってそういう資料が手に入り易くなってるのに気付きましてね。
それで、よせばいいのに作っちゃいましたよ、袴。
長袴だとスタンドが取り付けられないので、これは丈の短い切袴↓。
ジェニー人形だと生々しいので、画材屋で買ってきたモデル人形に着せてみました。赤い布がなかったので紫の袴になってますがご容赦を。
ほんとは袴の下は素っ裸なんですが、エロ画像になっちゃうので小袖を着せました。
ほらほら、袴の脇、太もも丸見えですよ。
この人形は等身大換算で約162センチ相当、しかもかなり足長体型です。試しにちょっと脇をまくってみたら、前も後ろも丸見えでした。(スミマセン)
平安時代の女性の平均身長が150センチ前後だそうなので、実際は多分膝までぱっくり開いてる感じです。そりゃもう、袴なんかはいたままでも…。
…なんて、確証があるわけでもないのに、勝手に一人で納得してるだけかも知れませんが。(ていうかそんなしょーもない疑問を晴らしたいがために、こんな物まで縫ってしまう自分って・・・。)
ついでなので、切袴だけの画像を↓。前紐をウエストに一周して脇で結ぶようになってるので、前の紐がこんなに長いのです。
袿も羽織らせてみました↓。平安時代の仕立てを参考にしたので、袖は身頃に全部くっついてます。
コメント 0