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平安時代もノーパン [人形装束と着物]

平成19年1月27日(土)

納豆騒動も一段落して、ようやっと落ち着いて買い物に行けるようになりました。やれやれ。
結局、納豆ダイエットはねつ造だったんですねぇ。納豆には何の罪もないのに。

それはまぁ置いといて。久し振りに人形装束です。

↓右は水干(すいかん)に四幅指貫(よのさしぬき)です。男子用です。

四幅指貫(よのさしぬき)は『梁塵秘抄』に
「このごろみやこにはやるもの…」と歌われてるやつですね。
普通の指貫は六幅か八幅で仕立てるそうです。一幅は約40cmだそうなので、
両足にプリーツスカートはいてるようなもんですね。
ちなみに左の女性用の切袴は六幅仕立てです。

↓左は男性用の大口袴(おおぐちはかま)。巫女さんではありませんよ。これも四幅です。

右の女性用の袴とは腰紐を結ぶ位置が違います。左腰で内側に結びます。
これ、今で言うならTシャツにトランクスって感じですか。下着姿ですね。
ということは、上流階級は男子はパンチラ、
女子はパンツ丸見えスタイルで生活してたようなもんですね。
しかも平安時代は素っ裸に直に袴はいてたんだそうで、
女子なんて上は裸にブカブカの着物はおっただけですよ。帯も紐も何にもなし。危ないって。
今とは身体感覚が違ってたんでしょうけど、
まだ庶民の方がきっちりしたもの着てた印象さえ持ってしまいますわ。(庶民は小袖姿)

今よりずっと生きるのが難しい時代で、
生老病死も常に隣り合わせで身近過ぎる事だったせいなんでしょうか。
生理現象も生理的欲求も、生きていればこその証でしかなかったのかも。
みんなで雑魚寝してるとこに恋人が忍んできても平気、
壷装束でお供連れた女性が道端で排泄しても平気。

しかしまあ、私が子供の頃も近いようなものでしたけどね。
道端で着物の裾まくって立ちションするお婆さんもいたし、畑に下肥もまいてたし、
学校のトイレだって、まだ校舎と別棟で男女共用非水洗でしたよ。別に平気でしたもんね。
…ありゃ、またなんか下ネタになってしまってスミマセン。


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